地域について
基町地区とはどんなまち?
基町の外観(2018年撮影)
基町地区は、国有地を敷地とし、昭和31~42年度に建設された17棟の中層棟 (管理戸数615戸)
及び昭和46~50年度に建設された3棟の高層棟(管理戸数 2,769戸)の市営住宅群や
市営店舗、小学校、保育所、幼稚園などの公共施設で構成されている町です。
基町ってどこ?
基町住宅地区は、太田川と広島城に挟まれた場所にあります。
地図のオレンジ色の範囲が基町住宅地区、緑色の範囲は一般的な地名としての基町です。
プロジェクトでは、基町住宅地区周辺を指して「基町」と呼びますが、
地図を見ると、広島城の南側広島県庁周辺までの一帯が基町であることがわかります。
数字で見る基町
基町地区の特徴をグラフィック化しました。
より詳しくは、下の「地区の特徴」「地区の課題」をご覧ください。
地区の特徴
都心にある計画的な一大住宅団地(中高層住宅団地)で、全体が公共施設
○ 基町再開発事業等でつくられた都心の住宅地で、全体が公共空間となっている。
○「く」の字型の住棟配置や屋上庭園、高層高密度再開発など、先駆的な取組がなされた建築及び都市計画であり、歴史的な意義を持っている。
○ 東には広島城跡、南には中央公園、西には太田川が位置し、都心にありながらも、緑や自然の豊かさを感じる都心の空間である。
築城以来の歴史を有するまち
○ 当地区は、旧城郭内にあり、また、すぐそば(東側)には広島城跡が位置し、築城以来の歴史文化を体感できる場所にある。
「平和の軸線」が通るまち
○ 原爆慰霊碑~原爆ドーム~ハノーバー庭園~グリーンアリーナなどから伸びる軸線が基町小学校などを通っている。
多彩な公共公益施設が立地・近接
○ 地区内には、保育園、幼稚園、小学校、児童館などの公共施設が計画的・一体的に配置されている。
○ 周辺には、県立体育館や中央図書館、ファミリープール、こども文化科学館、青少年センター、ひろしま美術館などの様々な公共公益施設が立地している。
地域コミュニティ
○ 自治会加入率の高さ、見守りや支え合いの活動などの特色がある。
公営住宅等の居住者による基町地区及びコミュニティの形成
○ コミュニティの基本単位となる基町地区(中区基町)は、当地区以外には夜間人口はほとんどなく、公営住宅等の居住者だけで、基町地区や地域コミュニティが構成されているという特徴的な地区である。
地区の課題
高齢化
○ 広島市において突出した高齢化率(平成22 年:40.6%)となっている。
○ 自治会の担い手の高齢化等に伴い、地域コミュニティの活力の低下(行事の減少、参加者の減少) が懸念される。
○ 高齢者の孤立死の増加の恐れが、より顕在化している状況である。
○ 災害時要援護者が増加するとともに、避難支援者等の確保が難しくなっている(高齢者が高齢者を支える状況)。
要介護者等の増加
○ 多くの要支援・要介護認定者が居住している(平成24 年度:約600 人)。
○ 地区内における通所サービス施設は未設置であり、地区外の様々な施設に通って通所サービスを受けている。
少子化
○ 高齢化と合わせて、少子化が進んでいる。
(基町小学校児童数 平成18 年177人→平成22年121人→平成25年119人→平成31年89人)
○ 子どもの減少に伴い、子ども会活動などが停滞している。
○ 地域コミュニティの活力にも影響している。
※ 多家族世帯に対応した住宅供給を進めている(2戸1化等住戸改善を実施中)。
外国人等との交流・共存の制約
○ 外国人等の居住者が増加しており、日本語の習得が十分でなく、日本の習慣に馴染めない外国人等との交流の難しさ・制約が指摘されている。(外国人比率:平成22年17.5%→平成31年22,2%)
商業の停滞
○ 市営店舗における営業の不振、事業主の高齢化等による経営の困難化、空き店舗及びシャッターを閉めた店舗の増加(空家率:平成24年25.4% )など、地区の商業が停滞した状況にある。
○ 施設や設備の老朽化、顧客の減少、イメージ低下などが指摘される。
団地共有空間等の活用の余地
○ あまり利用されていない広場や緑地等が存在する。
○ 歩行者ネットワークのわかりにくさ、段差などの障壁の存在(歩行者動線のバリアフリー化の必要)が指摘されている。
基町住宅地区活性化計画
(平成25年)
広島市は、地区の課題に対応し活性化を図るため、地区住民と有識者とで検討を重ね、平成25年に基町地区活性化計画を作成しました。
基町住宅地区活性化計画
(令和2年改訂版)
活性化計画完成から6年が経ち、広島市と基町地区住民代表が協議を進めて、令和2年に改定版が作られました。
少子高齢化対策や福祉事業に関する地域の問題についてクローズアップした施策が策定されました。
基町の歴史
基町歴史絵巻をご覧ください。
「広島開基」のまち
1887年(明治20年)、広島城の外堀と太田川に囲まれた地域は、「広島開基の地」であることから基町と呼ばれるようになりました。
安土桃山
発展のはじまりは、安土桃山時代。
天正
1589年(天正17年)毛利輝元が広島城を築城し、
城に務める侍の武家屋敷が広がっていました。
明治・大正
1868年(明治元年)
明治以降、広島城に陸軍の大本営が置かれました。基町地区にも軍の施設(西練兵場・陸軍病院など)が次々と設けられ、「軍都広島」を象徴する町となりました。
原爆による町の崩壊
1945年(昭和20年)8月6日原子爆弾の投下により、爆心地に近かった基町は壊滅的な被害を受けました。
戦後
1946年(昭和21年)
戦後の復興都市計画で、焼け野原となった広大な土地は中央公園として計画されました。しかし、戦災者や外地引揚者のために、公共用地を住宅地と変更し、応急住宅・木造公営住宅(仮設住宅)などが建てられました。
復興事業の始まり
1959年〜1968年(昭和31年〜昭和43年)
川沿いには、木造のバラックが立ち並び火災が多発していました。市と県は、コンクリートで作られた4階建の市営住宅・県営住宅を完成させました。
基町地区再開発事業
1968年〜1978年(昭和43年〜昭和53年)
老朽公営住宅の解消はできても、民間住宅を含めた全地域の不良住宅解消はできず、他の地区の戦災復興が進むにつれ、対照的にこの地区の整備の遅れが目立ちました。
そのため、基町西側一帯を改良する「基町地区再開発事業」により、広島市営基町高層アパート・広島県営長寿園高層アパートが完成しました。
現在
高層アパートの建設から40年以上が経過し、施設の老朽化が進むとともに、少子高齢化、入居者の国籍の違いによる生活習慣等の相違が進み、まちのにぎわいや活力の低下が課題となっています。
基町高層アパートの特徴
基町高層アパートとその都市計画は「戦後復興の総仕上げ」といわれ名作として名高く、
メタボリズム運動の中心人物の一人としても知られる大高正人(おおたかまさと・1923~2010)による設計です。
実際に基町へ足を運んで、歴史や地域、建築のことを学べる資料室を開所しました。
開所日 :水曜〜日曜
開所時間:12:00~17:00
管理上、資料室は通常施錠しております。
ご来場の際は、はじめに基町プロジェクト活動拠点M98(基町郵便局2つ隣)へお越しいただき、「資料室見学希望」の旨をお知らせください。
基町アパートに住もう
基町アパートに住みながら地域の活性化に携わる
大学生や若年世帯の方を募集しています。
例えば大学生なら、基町プロジェクトへの参加や、基町の活性化について論文を書くことも、地域活性化への参加の方法の一つです。
広島バスセンターから徒歩15分の立地で、3Kの部屋が家賃約1万円の条件も(学生対象物件の一例)。ルームシェアも可能です。
この事業は広島市が実施しています。
写真は参考写真です。
お問い合わせ:広島市都市整備局住宅部住宅政策課 基町住宅担当
Tel.082-504-2457 jutaku-s@city.hiroshima.lg.jp